LIBER USUALIS
第1話 ひげ — 前編
夜の国バルソン。濃い青色の空に包まれた、酒と工業と規律の国。
その最も大きい都市の郊外、真っ暗な森の近くに、崖をくり抜いて建てられた酒場がある。
その2階が、バルソンの主人格たる大精霊、ロガンの居室である。
ロガンは元人間である。しかもこの世界の人間ではない。
記憶はないが、思い出そうとすると、何となく大切な故郷を失ったような気分がして、酷く悲しくなる。
小さいながらも愛する故郷。親愛なる皇帝陛下。頼りになる空戦機工兵団や騎士団の英雄たち。尊敬できる元帥閣下。
その全てが曖昧で、鏡を見れば記憶を失った哀れな男の上に、言葉だけが踊っている。
ただし、実はあまり気にしていない。
ロガンは今がとても楽しいから。
ただ何となく感傷に浸りたい気がして、昔のように顎髭でも生やしてみるか、という気分になった。
「あれ、ロガン。何か変わった?髪切った?」
「おー。見ろ、少しかっこよくなっだだろう」
ジョリ。
得意げに顎を撫でたロガンを見て、気まぐれに訪ねてきたラティアは首を傾げた。
「???……私達って精霊だよね」
「そうだな」
「本質的に肉体とか関係ないよね」
「当たり前だな」
「なんですぐ生やさないの?」
不思議そうに首を傾げて、パタパタと羽を動かすラティアに、ロガンは深いため息をついた。
多分、老師の豊かな髭を想像しているのだろう。
「分かってないな、この、少し前に切ったが少し伸びてきた感じがいいんだろうが」
「ふぅん」
そんなもんかと分かったような分かっていないような顔をしながら、ラティアは自分の顔に向かって指をクルクル回す。
途端、グレーの毛束がラティアの顔を中心に爆発した。
「何してんの⁉︎⁉︎」
「アハ、ちょっと面白いかも、ラルネイに見せてこよ」
パシュン、と。
軽快な音が響いた次の瞬間にはラティアは消えていた。
……………
「あいつも大変だな」
